海とニット
WADDLE YA PLAY?
「ライフ・アクアティック」(”The Life Aquatic with Steve Zissou” ウェス・アンダーソン監督/2004年)を観たことがある人ならば、赤いニット帽の主人公たちをすぐ思い浮かべることが出来るでしょう。海洋探検家のスティーヴ・ズィスーと仲間たちが皆、お揃いのユニフォームに、赤いニット帽を被っていました。ビーニー型のシンプルな赤い帽子ですが、同じ帽子ではなくそれぞれが少しづつデザインを変えていて、一人一人のキャラクターを、より際立たせています。この映画以来「ズィスー・ニットキャップ」や「ズィスー・ビーニー」という名前をつけた赤いニット帽もすっかり定番の名前となってネット上のあちこちで発売もされています。
ウェス・アンダーソンの映画の色彩感は物語の世界をも独特にすることで知られますが、彼が子どもの頃から敬愛する実在の人物へのオマージュでこの映画を作った、というエピソードまで、まるで映画のストーリーのプロローグのようです。遡ればデビュー作「アンソニーのハッピーモーテル」で、早々にこの人物のポートレイトも登場しています。
海洋学者・探検家のジャック=イヴ・クストー(1910-1997)です。クストーの探検隊のユニフォームはやっぱり赤いニット帽でした。クストーは、海軍を経てアクアラングを発明し、さらに深く海洋に魅せられて探査船カリプソ号で隊員たちとともに海の研究と探索、そして保護に生涯取り組みます。クストー探検隊が紹介し続けた海の世界は、著作、映画やドキュメンタリーで残されています。
テレビの黄金時代には、世界各国のドキュメンタリーがたくさん放映されていました。「兼高かおる世界の旅」、「この木なんの木気になる木」でおなじみ「すばらしい世界旅行」、「知られざる世界」、「野生の王国」や「脅威の世界」。(どのオープニング映像を見てもその濃密さには胸が熱い)この「脅威の世界」の海洋シリーズが「クストーの海底世界」だったのです…。
といっても私の地方で全放送があったかは怪しいものの、一連の番組で生まれて初めて見たであろう真暗な深海生物の映像はあまりにも衝撃で、今も鮮明に覚えています。
「沈黙の世界」(1956)は当時23歳だったルイ・マルが初監督し、クストーと共同制作した海洋探検の水中映画です。カンヌでパルムドールを受賞して、日本でも文部省特選のお墨付きで公開されています。海面を群れ飛ぶたくさんのイルカ、危険極まるサメの攻撃に迫るカメラ、海底の謎めいた生物たちに、当時珍しかった「アクアラング」を着けて活動する隊員。司令室にはきびきびと海図を睨むであろう、かっこいいクストー(と個性的な隊員たち)。今見ても胸が躍るような海と船の映像図鑑です。中には海洋生物に対してあまりにも酷い行いも収められていますが、クストーは自らに警鐘のため、この部分をリマスターでカットせず今に残しているのだそうです。初期はまだチャーム・ポイントの赤いニット帽はまだ被っておらず、たまたま1人が被っていた赤いニット帽がチラリと見られただけでした。帽子がないだけで、なにか画面が厳しく見えるのは、映画の「ライフ・アクアティック」を観てしまったせいかもしれません。
私が好きなクストー探検隊のドキュメンタリー映像は、ずっと後の1975年の「世界の果てへの旅」です。
海は海でも冬の海、クストー探検隊が南極の氷雪に挑むというストーリーです。まず、クストーは白髪のおじいさんになっています。真白な髪と赤いニット帽は、海洋探検家によくお似合いです。無数のペンギンにアザラシ。カリプソ号から高々と上がる気球。まるでおもちゃのようなヘリコプターやイエロー・サブマリンは、特撮を見ているようです。氷山と流氷に囲まれながら厳しい自然に挑むドラマチックなストーリーの中、ユニフォームの赤いニット帽が目を惹きます。その時々、それぞれの被り方で、ここでもやっぱり帽子は普段の被りこなし、という心技が光っています。この帽子がお揃いの赤じゃなければただの帽子だろう?実用性を持ちつつもカッコいい赤帽子は、冒険にふさわしく最強です。歴史の潜水士が赤い帽子を被っていたのをクストーは踏襲していたそうですが、きっとたちまち人気の種になったはずで、海の青にも氷の白にもよく映える赤を選んだ洒落者クストーのセンスにも脱帽です。
「ライフ・アクアティック」のエンドロールにクストーの名前が一面で現れますが、 「偉大なるクストーと関係者の皆様のご協力に感謝します」というお決まりのものではなく、”IN MEMORY OF JACQUES-YVES-COUSTEAU AND WITH GRATITUDE TO THE COUSTEAU SOCIETY, WHICH WAS NOT INVOLVED IN THE MAKING OF THIS FILM”(「この映画に関係していない、クストー財団に感謝します」)という少し不思議なものです。
なんでも監督によると、映画会社がクストー・ファミリーに「所定の額をお支払いしますので映画を訴えないでほしい」とあらかじめ申し入れをしたところ、このクレジットを入れる条件付きで理解を得たそうです。関係していないって訳でもなく、曖昧な感じでこの映画は平和に終わります。まるでこのクレジットも映画のエピローグのような、余韻を残す言い回しです。
これを観て、何を編むかといえば、どう考えても赤い帽子でしょうか。一見、簡単な赤い帽子です。赤も色々ありますが、私の見る「いい赤」の糸で編むのが一番大事なポイントです。そして可愛過ぎず、可愛くなさすぎず。
気は心のことだけですが、被る人がその人らしく被ってくれるのが何よりの可愛さです。マリンのムードに引っ張られ紺の帽子もひとつ。それとキッズ用に潜水士みたいな顔帽子も編んでみました。目出し帽のようですが目だけで出るのではなくこれは口元も出ます。被らなければネックウォーマーです。一色で同じ編み目の続くニットなら、自分で編まなくても、綺麗に編まれた規制品がいくらでもあるでしょ、と思うこともあるのですが、ひと目ひと目の手描き感も、またこれに勝るものなしだと思うのです。