湯を沸かす棒
しのげ!退屈くん
文:安田謙一画:辻井タカヒロ
家が拗(す)ねる、ということなのか。
四半世紀以上住んでいた賃貸マンションを出て、この秋に引っ越すという話が決まってから、住んでいる家になんだかんだと不具合が生じてきた。
床のたわみや、上階の子供が走り回る音がやたら気になりだした。決定的なのは風呂(バランス釜!)が故障して、種火が着火しなくなったことだ。
この酷暑に風呂のみならず、温水のシャワーを浴びることも出来ないというのか。
大家に故障を伝えて、業者に見てもらうと修理に半月は要するという。半月かけて骨董品のようなバランス釜を直したとて、私たち夫婦が越していったあとには、新しく給湯器が導入されるのもわかっている。
日々、銭湯に通いながら、大家の対応を待つのだが、そのうち連絡が途絶えてきた。再び、妻とふたりで大家を訪ね、私が何かで知った「棒状の電熱器を浴槽に投げ込んで風呂を温める器具」のことを話したところ、その案が採用されることとなった。大家がその器具を買って、引っ越すまで私たちに貸与してくれることとなった。
やりとりの間は仮に「投げ込み棒」と呼んでいたが、届くとその器具には「沸かし太郎」という商品名がついていた。
これがなかなかの優れもので、追い炊き機能がない引っ越し先の風呂を見越して、うちでも買ってもいいかも、というくらいに気にいった。ゴーストバスターズが持ってる武器のようなフォルムもかっこいい。
ネットで値段を調べてみると3万円ほどする。あっさり諦めた。
最後に大家の家を訪ねたとき、ここで一発、がつん、と言ってやらねば、と思って深刻な顔で発した私の言葉は「この暑い夏、シャワーを浴びるたびに、私たち夫婦のことを思い出してください」だった。あとで思い出しては、大笑いしている。
と、ここまでの文章は石川桂郎「妻の温泉」(講談社文芸文庫)を読んだ影響を受けて書いたものである。代表作である「剃刀日記」という切れ味鋭い短編集で石川桂郎という作家を知ったのだが、「妻の温泉」はなんとも貧乏くさくしょぼくれた話で、漫筆ごころがくすぐられたのであった。
小説の話ついでに。ずっと気になっていた片岡義男の中編小説「瞬間最大風速」をはじめて読んだ。古本で買った「最終夜行寝台」(角川文庫)に入っていた。
東京から札幌まで友人に借りたキャディラックを返す旅にでた男が雨の日に道中でひとりの女をピックアップする。目的地で彼女を降ろし、その町で夜、男が酒を呑んでいた店に女は演歌歌手として登場する。
翌日、男は女の次の巡業先へ、彼女を送ることにする。女はそれを淡々と受け入れる。ふたりの旅を北上する台風17号が追いかけてくる。徐々に壮絶な様相を示すが、ふたりは荒れ狂う台風の中憑かれたようにキャディラックを走らせる。
風変りで、不思議な魅力をもった小説を読んだ日に、「ツイスターズ」という映画を観た。監督は「ミナリ」のリー・アイザック・チョン。えげつない竜巻の演出と共にロデオや映画館など、かつてアメリカ的とされた風景を巧みに扱っていた。製作総指揮がスティーヴン・スピルバーグと、言わなくても、わかるがな、という映画だった。