誠光社

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しのげ!退屈くん

この世はもうじきお終いだ

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しのげ!退屈くん

文:安田謙一画:辻井タカヒロ

 ここ最近、ネタバレが過剰なまでに非難の対象となっている。

 映画だったり、小説だったり、その内容を伝えようとする最低限の情報に対しても、ネタバレ、と指摘されているのを目にする。

 ライヴのセットリストにもまた、似たようなところがある。
 ネタバレという言葉が一般的に使われるようになったのはいつからだろうか。
 英語では「SPOILER」(台無しにするやつ)という言葉がそれにあたる。

 数年前にネットで「スポイラー・シャツ」という面白グッズを見かけた。Tシャツには次のようなコピーが散りばめられている。

 「それは最初から地球だった」

 「薔薇のつぼみは彼の橇の名前」

 「殺人者の母は二重人格の片われ」

 「タイラー・ダーデンは存在しない」

 「ソイレント・グリーンは人間で出来ている」

 ……あ、すんません。数行前に「ネタバレ注意」(SPOILER ALERT)と書くべきでした。失礼しました。

 さすがに、いま書いたような、純正のネタバレは別として、この情報過多な社会において、まったく予備知識なしで作品に接することはほぼ不可能と言ってもいいだろう。さらに、ネタバレに過剰反応するがあまり、受け手としてなんとなく「弱く」なっていくような気さえする。タフな観客となるべく、多少なりとも耐性をつけねば。

「観る前に読む」ということもたまには必要だ。いや、映画の前に原作小説を読む、では生ぬるい。脚本を読んでから映画を観ると、ネタバレっていったい何のことだっけ、という体験が待っているのだ。

 『ゆきてかへらぬ 田中陽造自選シナリオ集』(国書刊行会)には、「ツィゴイネルワイゼン」、「セーラー服と機関銃」、「雪の断章 情熱」など9本の脚本が収録されている。私がはじめて脚本家、田中陽造の名前を意識したのは、19歳のころ、阪神青木駅の近くのポルノ映画館で観た「女の細道 濡れた海峡」で、それこそ、ネタバレどころか、なんの予備知識もなく、この映画に出くわした。

 脚本集のタイトルになった「ゆきてかへらぬ」は40年前に書かれた。お蔵入りになっていたものが、2025年に根岸吉太郎監督によって映画化された。私はこの脚本をじっくりと読んだ。「中原中也の孤独はビー玉のかたちをしています」と書かれた文字を広瀬すずがどんな風にセリフにするのか、という関心を抱きつつ、上映中のシネコンに向かった。脚本の記憶が生々しかったせいか、役者がそれを忠実に再現すること、それだけで不思議な感激があった。次に彼はこう動いて、彼女はこう話す、ということを私は知っているのだ。まるで神のようではないか。この行為にハマってしまうと、もはや、映画の出来不出来にまで意識がまわらない。自分が現在進行形で演出をつけているような気分にもなった。結果、脚本を読んですぐ映画を観るのは、また別モノの愉しみだと納得した。

 女優の石田えりが監督した福田和子の逃亡劇を題材とした映画「私の見た世界」が今年の夏に公開される。脚本を読まなくとも、次に彼はこう動いて、彼女はこう話す、ということを私は知っているだろう。