誠光社

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しのげ!退屈くん

想い出のオートグラフ

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しのげ!退屈くん

文:安田謙一画:辻井タカヒロ

 「レッツヤン WEST」というクラブ・イベントに遊びに行った。小西康陽、多胡!、美和子という3人のDJが昭和のロックンロール歌謡をかけまくり、少林兄弟のワタルが歌ったり、煽ったりする、それはそれは愉しい宵で、さながらヌーディスト・ビーチのような閉じつつ開かれた空間だった。

 その日、私はバンヒロシの「いかすぜ!こいつ」をデュエットする要員として参加したのだった。

 バンちゃんは小西さんに会うと、おもむろに7インチのシングル盤を差し出し、そこにサインをねだった。小西康陽リミックス集『ATTRACTIONS!』のサンプラーで雪村いずみ「恋人になって」と佐良直美「私の好きなもの」のカップリング盤だ。この裏ジャケに小西さんと、アルバム・カヴァーのモデルをつとめた熊田曜子のツーショットの写真が使用されている。そこにはすでに熊田曜子のサインが入っていた。これには唸らされた。さすがバンちゃん。当の小西さんも唸りつつ、羨ましがっていた。

 バンちゃんとサインといえば、思い出すのは彼が中学生のときにTレックスの二人からもらった一枚。これがTシャツだとか、ギターのボディへのサインなら、それほどでもないのだが、いわゆるサイン色紙に書かれているというのがグッとくる。ラーメン屋の壁で馴染み深い273mm×242mmのスペースに「To BAN」という文字が添えられたサインはなんとも香ばしいものがある。

 この一枚で、やっぱりサインもらうなら色紙しかないな、と言いきりたくなる。

 思えば、人にサインをもらわない人生を過ごしてきた。ちょっと前にも別の場所で書いたことがあるが、京都駅前に近鉄百貨店があったころ、その中のレコード屋でバイトしていたときに、デビュー間もない中森明菜や、小泉今日子、三田寛子、石川秀美、さらに松田聖子がそれぞれキャンペーンで来店した。その都度、ツーショット写真やサインを乞うことをせず、「あ、僕、そういうんじゃないんで」という顔でやりすごした。そういうんじゃなくて、どういうのか、40年以上経った今になってみると、まったくわからない。

 かまいたちの漫才で、ポイントカードを持たない山内が、自分がいちばん最初に店員から「ポイントカード、お作りしましょうか」ときかれる時までタイムマシーンで遡りたい、という秀逸なネタがあったが、私も最初に有名人にあったときに戻って、「サインください」と素直に言いたい。人生をやり直せるなら、常にサイン色紙を2〜3枚は携えて暮らしたい。

 かつて、柳宗理は、野球のボール(硬球)のデザインの素晴らしさを主張していたが、それを真似て、私はいま、サイン色紙を愛でてみたくなった。アウト・オブ・アウト・オブ・民芸。

 一度、詣でてみたいと思っているのが、名古屋は今池にある中華料理店、ピカイチに飾られているという沢田研二と田中裕子の二人が一枚の色紙に書いたサイン。

 そして生涯、忘れられない一枚は、もう無くなっちゃった七条烏丸近くのうどん屋。京都に住んでいたとき、二日酔いになったら、鍋焼きうどんを喰ったこの店に一枚だけ飾られていたのは冒険家、植村直己のサイン。名前の横には「南極犬橇」の4文字が添えられていた。