誠光社

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しのげ!退屈くん

僕の中の毛ガニ

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しのげ!退屈くん

文:安田謙一画:辻井タカヒロ

 遠近両用の眼鏡を新調した。

 遠くはよく見えている状態で、老眼が進んだので、一本目を購入。十年ほど着用していたのだが、最近、遠くを視る力も少し衰えてきたのだ。

 出来上がってきた新しい眼鏡をかける。
視界に慣れるまでに数日を要すると言われるが、根っからの貧乏性なので、一刻も早く慣れてやろうと、これをかけて街を歩き回る。歩くだけでは物足りず、階段を上り下りしたり、酒を呑んだりもしてみた。

 違和感はそう簡単には抜けない。地面が近く感じられる。30センチほど身長が縮んだような感覚。ジョン・レノンは「悲しみをぶっとばせ」で“2フィート縮んだ気分だぜ”と歌ったが、あれは新しい眼鏡をかけた日に書いた詞だったのかもしれない。

 車の運転に支障はなかったが、やはり運転席からの視点が低く感じられる。まるでマリオカートに乗っているようだ。おやおや、ってことは、ひょっとして?、と思いつき、ウォーの「ロー・ライダー」を再生。少しスピードを緩めて走ってみると、神戸の裏道がイーストLAに見えてきた。

 ということでラテン・ロックの話に。ジョーディー・グリープの新しい曲「ホーリー、ホーリー」について書きたかったのさ。

 この曲を最初に知ったのはXのポストで、だった。

「black midiのグリープのソロ一作目、ほぼ「勝手にシンドバッド」じゃん」

 というある人がポスト。別の人が引用して

 「サザンとスティーリー・ダンを混ぜた感じ!」

 と、反応されているのを、私もリポストした。さらに引用して、

 「ドナルド・フェイゲンが「気分しだいで責めないで」をカヴァーした感じ!」

 と重ねようと思ったけれど、思いとどまった。大人になったね、と言いたいところだけど、結局、ここで書いている。

 フカしたロックには目がないのだ。ラテン・ロックをハイプにキメたこの「ホーリー、ホーリー」が、私のエイント・ノー・キュアな2024年の夏のBGMとなった。
暑苦しさ×暑苦しさ、である。ボーリング場を使ったビッグ・リボウスキなPVも最高。7インチが出ていれば言うことないけど、今のところはまだ存在しないようだ。

 この曲が入ったアルバム『The New Sound』のジャケは佐伯俊男の画が使用されている。迷わずネットで予約した。おそらく、この原稿がアップされる頃には、手元に届いているはずだ。

 この「ホーリー、ホーリー」にハマったおかげで、すっかりラテン・ロックの耳(カレーの口、的な)になってしまった。先に挙げたサザンの2曲はもちろん、これまた最近お気に入りのIKECHAN「ケヤキの神」とも繋げてみたい。「ケヤキの神」はラジオ「金属バットの社会の窓」でほぼ毎回オンエアされていて知った“だんじり”ロックだ。佐伯敏男繋がりで、三上寛『BANG!』の「最後の最後の最後のサンバ」も思い出した。トドメに、サンタナの「ソウル・サクリファイス」が高らかに使用されるデヴィッド・フィンチャーの『ゾディアック』のオープニングも! ギター・ソロは顔を歪めてなんぼ、である。