誠光社

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なまえのこと

あだ名

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なまえのこと

漫画ナマエミョウジ文フィクショナガシン

あだ名は禁止、「さん」づけで呼ぶ。今の小学校のトレンドだそうである。ニュースで数年前に知ったのであるが、あだ名って禁止するほどなのか、と驚いたのがその時の率直な感想だ。

外見的な特徴を誇張し、個性を揶揄するようなあだ名は、言われる方にしてみれば迷惑千万な話である。そんなあだ名なら即刻やめるべきであるというのは、まあそりゃそうだよな、と納得したけれども、あだ名禁止ということ、「さん」づけで呼ぶように指導するということに関しては、率直に言って薄気味悪いと思った。

「さん」づけで呼ぶのが気味悪いというわけではない。そんなの全然かまわない。先日ある漫画家さんにインタビューをしたのだが私は「こうのさん」と呼び、彼女の担当編集者を「秋山さん」と呼んだのである。「さん」づけを当たり前のように日々使用している、そんな私が、小学生諸君が「さん」づけで呼ぶことに対して、子供だからそれを使うのは気味悪いと言ったとしたら、それはいささか勝手な言い分であろう。

私が不気味に思ったのは、小学生が「さん」づけで友達を呼ぶことではない。大人が、そう呼ばせるのが気味悪いのである。

こうしなさい、とか、あんなことするな、とか、大人が子供をしつけるのは、必要なことではある。道路を飛びだすな、とか、道で拾ったものを無闇に食うな、とか、弱いものいじめするな、とか、手を洗え、とかである。だが、しつけ、は最小限にすべきである。なんでもかんでもしつけで済ますのは、よくない。「考える」が抜けるからである。大人に対しては、「こら。しつけはほどほどにしなさい」と、しつけたい気持ちが私にはいつもある。まあ、私も大人なのだが。

ところで、「さん」づけには何か、面白い温かみがある。「ちゃん」にはない味わいがある。私の姉は、母のことを、ある時から「さん」づけで呼び始めた。一瞬、何それカッコいいと思ったが、私がそれを真似したりなんぞすれば「弟、姉に屈す」となるので、そこはぐっとこらえた。その「こらえ」には意味がおそらくあって、一種の「表現」として、それ(母親を「さん」づけで呼ぶこと)を私が感じているからであろう。

姉の自己表現としての「ミヅエさん」であり、©姉というクレジットが、私の脳内にはっきり見えたわけである。母にしてみれば、「なんで娘がさんづけを」と当初困惑していたようであるが、今では、「あの子らしいよね、うふふ」とむしろ嬉しげである。

母は、70年、いや80年ほど前から、姉妹たち、周囲から、みいちゃんと言われており、今でもそうであるようだ。戦後を苦労して生き抜いてきた(母は末っ子で苦労してないみたいだが)、その時の親密な「姉妹っぽさ」がそこに保存されているようで、耳にするたびに不思議に思う。

思い出したが父は、私の父はもう死んでいるのだが彼が生きている時(当たり前だが)、自分の母親のことを常に「婆さん」と言っていた。僕ら子供に合わせて「婆さん」と呼んでいるわけだ。妻のことを「母さん」と呼ぶような、よくある現象であると思うが、父は、自分の父親のことは「俺のオヤジは」とか言っていたし、妻に対しては「ミヅエ」と呼び捨てだったり、「お前」だったり、「母さん」と呼んだり、ぶれていたが、自分の母親については頑なに「婆さん」だった。おふくろと言っているのは聞いたことがない。おばあちゃんと面と向かって話しているときにも「婆さんは」と言っていたように記憶している。照れくさくて、言わないようにしていたのかもしれない。

しかし、ある日、多摩センターの私の実家に熊本からおばあちゃんが来てしばらく住んでいた時があったのだが、春だったか、しだれ桜を見に行くために近所を一緒に散歩して、少し先に歩いていたおばあちゃんに(健脚だった)、父が小走りに近づき、「なあ、母さん」と呼び掛けた。後ろを歩いていた私はそれを聞いて思わずコケそうになったのである。

初「母さん」を聞いたわけで、おお、これは彼の「子供の時」が出たな、春の桜のきまぐれ、この季節のいたずらか、と私はしみじみ思ったのだった。

「聞いたよ」と、私が後で(おばあちゃんが熊本に帰った後で)でニヤニヤしてその時のことをものまねしながら彼にそう言うと、実に嫌そうな感じで、そうだっけ、と、トボけてみせたものである。

「さん」づけにせよ何にせよ、誰をどう呼ぶか、は、その呼びたい人の自己表現であり、「婆さん」と呼び続けたのは父が父たらんと、自分の立ち位置は父親なのであるという彼の役割意識の表現であり、「みいちゃん」は、彼女の姉妹の濃密な戦後の生活空間を保存しているのであり、「ミヅエさん」は姉の青春時代の自意識を刻印している、と言えるのかもしれない。

私はどうかな、と自己検証してみると、今も「お母さん」と呼んでいる。「母さん」ではなく「お母さん」と「お」つきで呼んでいるのは、細かいが、小学生当時の自分の名残のような気もする。「おふくろ」とも「オヤジ」とも言わなかった。「姉さん」でも「姉貴」でもなく「お姉ちゃん」と今でも口からポンと出るのは、これまた小学生の時に私がそう言っていたから、それがそのまま残っているのだろう(あえてそうしているのかもしれない)。

ところで、その頃、その頃というのは小学生だった頃ということだが、私の周囲で、「さん」づけをしていたのはしずちゃんだけだった。漫画の中のことであるとはいえ、彼女が、のび太さん、と、「さん」づけで呼ぶのを新鮮に感じたものである。武さんだったし、出木杉さんだったし、スネ夫さんだった。彼女が「ちゃん」づけしてたのは、ドラちゃんだけだった。

付け加えておくと、しずちゃんのこの「さん」づけは、女の子らしさ、「男とは違うしとやかさ」の印象を一見与えるかもしれない。だが、「あんた」とのび太のことを呼ぶこともしばしばあり、私はそれも好きだった。彼女の個性をこのふた通りの呼び方が、より豊かに表現しているからである。

漫画の中の「さん」づけでいえば、さっき漫画家のこうのさんにインタビューしたと言ったが、以前こうのさんがラジオに出演された時、アナウンサーの吉田さんから、こうのさんの作品は、「すずさん」だったり「ぴっぴらさん」だったり、人間動物問わず、「どう呼ぶのか」にこだわることで、作品に独特な雰囲気をまとわせますねという意味のことを言っていて、いい指摘だった。

確かにニワトリは「こっこさん」と呼ばれ、インコは「ぴっぴらさん」と呼ばれる。「荘介どの」と自分の夫のことを主人公は呼ぶ。恋人だった男性のことも「竹林どの」と呼ぶ。紙の中の、コマの中のフィクションなのだが、まるで本当に生きているかのように感じる。呼びかける、呼ばれる、ただそれだけで、生きているように感じるのはなぜだろう。

さて、冒頭に戻って、あだ名禁止・「さん」づけ推奨という、小学生に対する「しつけ」の問題であるが、ネットを見ていたら、90年代からすでにその傾向はあったようである。また、そもそもあだ名というほどのあだ名はなかった、という意見も見受けられた。確かにそうかもしれない。私の頃(80年代)でも「ますっち」とか「せきねちん」とかそんな感じだった。「とみちゃん」とか「おおたけ」というように「ちゃん」づけだったり呼び捨てだった。先生は先生だったが、たまに、親しみやすい教師に対しては「かきちゃん」とか、やはり「ちゃん」づけだったのである。

世代で割り切れるものではないだろうが、私の周囲にはあだ名らしいあだ名はなかった。ハチベエとかハカセ、モーちゃんみたいな、ズッコケ的なあだ名は、教室の後ろの学級文庫の中にはあったけれども、現実にはいなかった。「電熱器」みたいなあだ名(藤子不二雄A『78歳でいまだまんが道を…』中央公論新社/2012)も、なかった。校長先生や教頭先生を「赤シャツ」や「狸」と呼ぶようなこともなかった。

「うらなり」とか「マドンナ」みたいなあだ名は、かなり古風なものと言えるだろう。実際「電熱器」は1940年代の小学生だった時のもので、後年は「アビちゃん」(前掲書)と呼ばれていたはずである。

もちろんいつの時代も「こうだ」とひとことでは言えないのだし、ニュースで語られた傾向がそのまま日本全体の現実を示しているわけでもないことはわかりきっているが、気になったので、娘さんのいる友人のアーティストに聞いてみたところ、全然「さん」づけで呼び合ってないね、あだ名もない、とのことであった。

保育園の時は、「さわちゃん」「すずほちゃん」と友達を呼んでいて、男の子に対しては、「こうだいくん」とか、「いさみくん」とか「くん」づけだったそうである。

それが小学1年生になって少ししたら、「さわ」「すずほ」と急に呼び捨てになった。お互いに、呼び捨てで呼び合っているらしい。

面白いのは、男の子に対しては、「くん」づけのまま、だけど気になる男のコのことを親に語る時は、しばしば呼び捨てになっていることだ。匂わせる感じがなんとも素晴らしい。

さっきも言ったけれども、人をどう呼ぶか、は、自己表現なので、「しつけ」でなんとかする領域ではないと私は思う。大勢が呼んでいても、「自分はそれを使用しない」とか「自分は彼をそう呼ばない」ということはあるべきで、それでいいと思う。学校は生徒らの「表現」を常によく観察し、人を傷つけるあだ名を見つけたら、おい、その「表現」は稚拙だぜ、と批判するのが大事だ。先生と生徒とはいえ、対等なのだから。

ヨーロッパ中世が、あだ名で盛り上がっていたことは全く知らなかった。話が急に変わったわけだが、ここまで数日かけて書いているのだけれども、その間に図書館から借りてきて読み終わった本のことを書きたくなったのである。その本、岡地稔『あだ名で読む中世史 ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる』(八坂書房/2018)は、貴族や王があだ名で呼ばれまくっていた時代を研究した本である。

同時代にあだ名で呼ばれたり、時代をさかのぼって、すでに死んで久しい王侯貴族にあだ名をわざわざ新しくつけたり、今ではどんな意味かわからぬあだ名があったり、と、ミステリアスな「あだ名文化」全盛時代を探索していて面白い。

中世独特の名前の付け方(親の名前をドッキングさせたり等)が、「同じ名前」を生み出す土壌であり、「そんなの最初から結論が見えているのだからその名前のつけ方をやめては」と思うが、始まったものはなかなか終わらないのかもしれない。そしてそれが、あだ名の豊かな土壌となってしまうのである。

この頃はファーストネームしかないから、同じ名前が続出し、大ピピン、中ピピン、小ピピンと暫定的に三段階で区別したものの、「中」が「小」に間違われたり、混乱を極め、それを修正するため、背の低い方のピピンを「短躯王」と呼ぶことで区別した。というか、区別しようとしたらしいのだが、しかし、今度は別の「短躯王」も出てきたりして、ややこしく、だから中世というのはなかなか手強い時代である。

巻末に、300ものあだ名を整理した「中世ヨーロッパ王侯《あだ名》リスト」があって、これがまた最高に愉快である。「髭面公」とか「勝利王」とか「他にも髭面が出てきたらどうするのか」「別の王も勝つことがあるのではあるまいか」と、ヒヤヒヤしてしまうセンスなのである。

他にもたとえば「単純王」は、本名はシャルル3世で、西フランク王国の王であるが、内輪で固めるその政治姿勢が反感を買っていたという。このあだ名は死後半世紀以上が経過して記録に出てくるそうだが、最初simplexは「素朴」という程度の意味で用いられたそうだ。それが次第に「単純で馬鹿」を表すようになり、同時に「愚者」「愚鈍」とも呼ばれるようになったというから、うかうか死んでいられない。全く単純ではないのが面白いところで、この「単純王」よりもさらに面白いあだ名がずらりと並ぶのであり、リストだが文学めいていて、ちょっとしたウリポ感がある。

惜しいというか、残念なのは「遊戯王」がいなかったことである。これはいてほしい。ほんとにいないのだろうか。いや、いなくても、中世の「後から名付ける」という流儀に倣えば今からでも決して遅くはないと思う。見つけてあだ名をつけよ、と現代の中世史家にはお願いしたいところである。